将棋をやると性格悪くなりませんか?将棋は相手の一番嫌がる手が一番最善の手になるゲームです。だから将棋やると礼儀作法がみにつくとか色々言われてますが、長年将棋さしてきた経験からそうとは思えません。
実際、僕の将棋の友人はかなり嫌味な人間なのに良い会社に就職しました。
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確かにそうかもしれませんが、相手も勝つために将棋をしているので指された手を嫌な手と感じてしまうのはしょうがないと思います。ぼくの将棋仲間でも嫌味な人間はいます。しかし、全員が嫌味な人間になっているとは言えません。そういう人はごく一部です。その人を僕が負かした時は、彼はものすごく悔しがっていました。嫌味というよりプライドが高いだけなのでは?
だから、将棋を長年やっていて、嫌味な人間になったというのは相手に負けたくないからだと思います。本来、柔道、剣道などの武道や将棋などでは勝った人は負けた相手に対して思いやりの心を持たなくてはいけません。そういう心が持てている人は、将棋をやっても嫌味な人間になるこは決してありません。将棋をやっている嫌味な人間というのは、自分が勝つことだけを考えていて、相手のことなど全く考えていない人間です。
つまり、将棋をやって性格が良くなるか悪くなるかは、自分次第です。
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谷川光司や羽生善治みたいな将棋を極めたような人々は、テレビを見ている限りは、非の打ち所の無いような性格をしています!悪いニュースも聞いたことも見たこともないです!
あそこまでいったら神の領域だよな~
答えは、極めれば非の打ち所の無いような性格になります!
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それはありません。たまたまです
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僕はパチンコ、競馬、麻雀、釣り、「○○好きには悪い人はいない」なんてとても言えない分野の趣味がありますが将棋指す人は確かに「キツい」ひとが多い気がします。
推測ですがこれは初心者に対する風あたりが強いためかと。
上にあげたものだと「昨日こんなことがあった」なんて初心者とも話せますが将棋は一手一手で局面が全然違うので。
また運やツキの要素も非常に少ない。
そんなこんなでワイワイ盛り上がりながらよりも自分で寡黙に強くなった人が多いと思います。
負けず嫌いは多いと思います。
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確かにそうかも知れませんが指す側からすればその一つの局面での最善手を見つけようとするものです。
なので自分の手を考えるとき相手はどんな手が困るだろうというよりどの手がこの局面ではいいだろうかと見つけるものではないでしょうか。
最低、自分の考え方はそうです。
ですから相手が一番嫌になる手を探しそれが最善手になるというより、客観的に見て最善手だろうと思った手が結果相手の嫌な手になるのではないでしょうか。
性格の良し悪しは将棋だけではないだろうと思います。
様々な人がいますから強い人の中には相手を見下した態度が出ているような人がいるのも事実です。
でも中学生なんかだとちゃんと挨拶できたり真面目な人がいるのも事実です。
だから将棋で性格が形成されたり変わるというのはあまりに言い過ぎでは。
暴力的なゲームで犯罪に走る人が増えるとかエロゲーで性犯罪が増えるとかそんなのと同じ感じがします、その考えは。
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各個人の心掛けの問題でしょう。将棋と性格の悪さを結びつけて考えて欲しくないですね。
まあ…将棋をただやっても礼儀が身に付くわけではないのは確かですね。礼儀についても自分が心掛けてやれるかどうかでしょう。
結局は自分の問題です。将棋のせいにするのは違うと思います。
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相手の一番嫌がる手が最善の手になる。確かにそうですね。
でも視野を広く持って、対局者としてでなく観戦者として将棋を見れば盤上で最善手を指すのはとても美しい事です。
何事も捕らえ方次第だと思います。
どのようなものも善悪を定めるのはゲームではなく人間です。
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未成年、将棋三段のものです
汚い、嫌味だなどと言うと何も出来なくなりますよ
勝負はすべてそういうものですし、それを踏まえて楽しむことがゲームです
確かに嫌がらせのようなことをして楽しむ人も中にはいますが
ほとんどの人は楽しんでいる人ですしそれはどの世界でも言える事ではないでしょうか
ちなみに礼儀作法とは性格ではなく、本格的にする上での正座などだと自分で理解しています
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こんにちは
とっても面白い質問ですのでボクも参加します。
>将棋をやると性格悪くなりませんか?
ボクは悪くならないと思います。
>将棋は相手の一番嫌がる手が一番最善の手になるゲームです
対戦型のゲームではそうしないと勝てないし強くなれませんよね
これと人間の性格をいっしょにされては困ります。普通の生活で他人が嫌がることをする人は少ないですよね
■逆にボクは将棋をやることのいいこととして、
通常あり得ない、競争心のむき出し、冷淡に戦ったり、可愛い駒を捨てたり、そういうことを発散できるから
実際の生活ではおだやかに暮らせるのではないかと思っています
スポーツのレスリング、柔道、ボクシングなんかも同じです
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仰る通りです。
将棋に限らず、トランプ、麻雀、野球、サッカー、テニスなど相手がいるゲームは全てそうです。
マラソン、スキー、は他人を欺かないスポーツです。
野球が特に汚いですかね。盗塁、スクイズ、変化球、隠し玉、など。
サッカーも汚いですね、審判までも欺くプレーや時間稼ぎなど。
勝負の世界は勝つ=相手を騙すこと。と言っても過言ではないでしょう。
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将棋を覚えたての頃、
こっちに何とか王様が逃げれそうと思っていると、
退路に金を置かれ負けました。
そのときは「なんて卑怯な!」と感じましたが、
将棋は相手の王様を詰ますゲームであり、卑怯もなにも関係ありません。
退路に金を置かれる前に対策を練っていればよかっただけのこと。
ある程度の棋力が備わってくると、一手一手の意味が分かります。
将棋と友人の就職を同じ視点で見てしまうと、
世の中のこと全てが悪に見えてしまいます。
何事も考えすぎは良くない。
集中して多岐に渡って考えるのは将棋の時間だけにしておきましょう。
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囲碁・将棋の腕と、人柄は正比例しています。(笑)
高段者、それも県代表者になるような人は、皆さん性格は
とても温厚で人格者ばかりです。
囲碁や将棋は、状況判断・大勢の把握により、最善手を選
んでいきますので、相手の嫌がる手を指しているつもりは無
いと思います。
むしろ、自分との戦いの連続で、自己の極限まで手を読ん
で対局しています。
どういう人達と将棋を指してきたのか解りませんが、アマの
トップクラスに教えてもらいましょう。
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簡潔に言うと
『あなたは嫌味な性格だと思っている友達が
良い会社に就職したことに不快感をおぼえる』
ってことですね。
将棋は二の次、仮に将棋が関係するのであれば
あなたももっと将棋を指してみるほうがいいってことに
なるのかも知れませんね。
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将棋をしない国の人の性格が皆良くなってしまう!
性格形成に将棋はまったく影響を与えないだろw
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「相手の一番嫌がる手が一番最善の手になる」のはVS.形式で行われる競技の基本的な性質であって、将棋に限ったことではありません。
野球ならば、直球に強く変化球に弱い打者には変化球を多投し、外角に強く内角に弱い打者には内角攻めをするでしょう。当たり前の話です。相手の裏をかく意味であえて得意なコースへ投げるようなことはまれにあるにしても、そんなことばかりして「正々堂々やった」と胸をはり、結果負けていたのではそれはただのマスターベーションです。
格闘技においてフェイントを使うことを卑怯だと非難する人がいますか?私はいないと思いますね。
あなたの論からすると、例えば水泳や陸上競技のように、個々人の行いが直接的には他者に影響を及ぼさない競技以外は、皆性格が悪くなってしまいそうです。
また、逆説的に言えばそうした競技に携わる人は皆性格がいいですか?恐らくですが、そんなことはないでしょう。
あなたの友人のことは知りませんが、それをもって一般論のように語られても困ります。あなたの理屈を正当化するには残念ながらあまりに無理があると思います。
こういう言い方も性格が悪いからなのかな?w
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まだ将棋を始めて一年も経たないので、性格が悪くなったかどうかは分かりませんが・・・
ずっとやっているとそうなるのかなぁ・・・と思ってしまいました。
今現在は将棋を指すことで、つまらないことにこだわらなくなったり、衝動買いがずいぶん減ったことを思うと、
いいことばかりです。
今後、自分がどうなっていくのか分かりませんね。
そうなるまで続けているのかも分かりませんし・・・
しかし、将棋を指すことは何らかの好影響があると信じていたいですね。
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冷酷になると思います。
私は、将棋を始めた頃は相手に勝つのが気の毒で仕方なかったのですが、今ではへっちゃらです。
議論好きになったのも、将棋のおかげかもしれません。
よくいわれる米長哲学ってのも、冷酷な性格を正当化したものではないかと思いますよ。
それを肯定する人は、仏教的にいうと、阿修羅の世界に片足を突っ込んだような人たちですわ。
補足
武道の礼儀というのは、余計な争いごとを避けるための知恵に過ぎません。
老子の「大道廢れて仁義あり」とおなじことです。
スポーツマンシップも、勝つためにあまりに礼儀の無視や卑怯なことをやる人が多いので、わざわざ作られた言葉だと思います。
それに比べれば、将棋を含む武道の、上記の知恵は偉いです。
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性格は変わらないと思います。
私は相手の嫌がる手を指そうと思っていません。
自分の最善の手を指して 相手も最善の手を指してお互いに全力を出せた時は勝っても敗けても良い対局になると思います。
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